京都の富小路通(錦市場からすぐ)の古着屋『MILOU(ミル)』のスタッフブログです。
どうも〜、おとーさんです。
今日は成人の日でしたね。
新成人のみなさん、おめでとうございます。
成人式という通過儀礼を経て、いよいよ「大人」になった訳ですが。
正直なところ、あまり実感がないのではないでしょうか。
僕自身、10数年前に成人式をした時、「ふ〜ん」っていう感じでした。
特に何かが変わるわけでもなく、次の日からは昨日と同じ日常が続いていく。
「大人になったんだから、これからはしっかりせい」と言われても、まわりの「大人」がしっかりしていたとはとても思えない。
だからあまり「成人した」という実感を持つことが出来ませんでした。
それから数年が過ぎたころ、やっと「大人」とは何かということがぼんやりとながらわかってきました。
僕が考える「大人」とは、「責任の取り方を知っている人」のこと。
そして積極的に責任を「取る」人というのは、社会において発言力を持ちます。
だから責任を「負う」のではなくて、責任を「取る」という具合に、「責任」というものについて肯定的あるいは積極的な思考が出来る人が「大人」。
さらに責任を取るためには、TPOに見合った「取り方」を知ってないといけませんよね。
こんな風に最近は思うようになりました。
そう考えると「大人」って、自分次第でいくらでも可能性を広げられる、面白い立場なんだなと思います。
「子供」の方が可能性は広がっているんじゃないかと思われがちですが、「子供」の場合は責任を「大人」が取ってくれるので、「無責任」に何でも出来る(していい事になっている)だけ。
だから自分に対する可能性は広がっているのですが、社会というか周囲に対する影響力はほとんどありません。
ちなみにここで書いている「大人」や「子供」というのは、実年齢とはあまり関係がありません。
いい歳した人が「責任の取り方」をろくに知らなかったり。
若い人でもしっかりと「責任」というものを自覚していたり。
日常的によく見かけますよね。
だから当たり前の事ですが、成人式をすれば自動的に「大人」になるのではなく。
成人式という通過儀礼が持つ意味は、「大人」というものについて考える機会を与えることにあるのではないでしょうか。
「大人」の在り方が曖昧な現代においては、特に。
さて、えらそ〜に長々と書いてしまいました。
ともかく、新成人の皆さん、人生の一つの節目を迎えられたこと、お喜び申し上げます。
そして既に成人を迎えられている方や、これから迎えられる方は、この機会に改めて、「大人」の在り方について考えてみられてはいかがでしょうか。
「近頃の大人は、まったく」なんてことを言われないようにするためにも(笑)
☆☆☆☆☆
こういう説教臭いことをダラダラ書いちゃうあたりが、「オッサン」なんでしょうねぇ、きっと(遠い目)
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明日はホリちゃんとおとーさんでお待ちしております♪