おとーさんによる祇園祭解説。

京都の富小路通(錦市場からすぐ)の古着屋「MILOU(ミル)」のスタッフブログです。



おとーさんです、まいど〜。


祇園祭宵山、盛り上がってますね〜!


今日は僕とイワサキちゃんも、浴衣で祭り気分でした。


おすもーさん?いいえ、おとーさんです。



小料理屋の若女将?いいえ、イワサキちゃんです。



さて、皆さんは祇園祭の由来をご存知ですか?


祇園祭はそもそも、平安時代に流行した疫病の平癒を祈念した御霊会が、その起源だといわれています。


その起こりは869年(貞観11年)。


当時の国の数である66本の矛を建て、その矛に厄病を乗り移らせると共に、薬師如来の化身である牛頭天王を祭って、3基の神輿を送ったようです。


そう、66本の矛は現代では32基の山鉾としてその名残をとどめています。


そして祇園祭の祭神である牛頭天王


この牛頭天王にはある説話があります。


昔々、牛頭天王が旅の途中、あるところで一夜の宿を求めたところ、裕福な巨旦将来という人物はそれを断り、巨旦将来の兄である貧しい蘇民将来は精一杯牛頭天王をもてなしました。


後日、牛頭天王は再びその地を訪れるのですが、それは巨旦将来の一族を滅ぼすためでした。


ところが、一宿一飯の恩義のある蘇民将来の娘が、なんと巨旦将来の妻となっていたことを知ります。


そこで蘇民将来の娘に茅の輪を付けさせ、それを目印として、娘以外の巨旦将来一族を滅ぼしました。


これがいわゆる「蘇民将来説話」というものです。


まぁ、牛頭天王(というか日本の祭神)は、薬師如来だのスサノオノミコトだの武塔神だのが習合しているので、ややこしかったりするのですが、一応はこんな話です。


この話に出てくる「茅の輪」が、現在の祇園祭で配られている「ちまき」の由来。


あ、祇園祭の「ちまき」は食べられない(ぜんぶ草)なので、要注意ですよ〜。


また、今でも配られている厄除けのお札には、「蘇民将来之子孫也」という文字が書かれているのも、この説話が元になっているからです。


そして京都の人は御存知でしょうが、祇園祭の最大のイベント(?)は、実は宵山山鉾巡行ではなく。


山鉾巡行の日(17日)の夜に行われる神幸祭(と後日行われる還幸祭)です。


その日の夜に、3基の神輿(そう、昔牛頭天王を祭るために送られた3基の神輿)が京の街中を勇壮に練り歩くのです。


「暴れ神輿」の異名があるくらい威勢のいいその祭りは、昼間のはんなりした山鉾巡行とは大違い。


昼間の祭事しか知らない人は、みんなびっくりします。


MILOUの近所である錦市場にも神輿がやってきますので、是非一度見学されることをオススメします♪


祇園祭は7月の1ヶ月をかけて行われる長い祭り。


屋台でたこ焼き買うのだけが祭りじゃないんだぜ!という気概に満ちた、伝統行事なのです。


こうした由緒を知っていると、祇園祭もいっそう楽しめるのではないでしょうか?


さてさて長くなってしまいましたが、こんな感じで京都は祭り一色。


MILOUも50%オフセールや、秋物入荷でお祭り騒ぎ。


祇園祭見学に疲れたらゼヒゼヒお立ち寄りくださいまし♪


明日もホリちゃんとイワサキちゃんが、浴衣姿でおまちしております♪