京都の富小路通(錦市場からすぐ)の古着屋「MILOU(ミル)」のスタッフブログです。
おとーさんです、こんばんわ。
今日はちょっと真面目なお話。
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はやいもので、あれからもう一年が経ちましたね。
まずは、災害で命を落とされた方のご冥福を心よりお祈りいたします。
一年前のあの日、仙台在住の後輩や友人にすぐに連絡を取ったものの、なかなか連絡がつかず、やきもきした日々を送ったことを今でも明確に思い出します。
インターネットやテレビのニュースで伝えられる現地の様子は惨状を極め、胸が痛くなりました。
何かしないといけないという気持ちに突き動かされ、微力ながら募金箱を店に設置したり、自らも募金したり。
しかしそんな衝動も、日々の忙しさの中に埋没していき、心の片隅には常に被災地の様子を案じる気持ちを抱きつつも、行為としては何もせぬままに一年が過ぎてしまいました。
「そりゃそんなもんですよ、こっちにも日常生活があるんだし」で片付けてはいけないけれど、いつしかそんな言い訳で自分を納得させてしまっていたり。
こんな安直な自己批判なんて誰でもできるし、それで満足して終わらせてはいけないけれど、では現実に何が出来るのか、どこまで自分は介入するのか、そうしたことを考えるとなかなか難しい問題ですね。
ただ、今回の一連の災害に関して。
地震と津波という自然の脅威は、残念ながら「おこってしまったこと」であり、亡くなられた方や被災された方へ「祈り」を送ることしか出来ません。
非情な言い方かもしれませんが、いくら僕たちが「ひどい、悲惨だ」などと同情したり悲しんだり憤慨しても、奪われた命と以前の生活は帰ってきません。
問題なのは、一連の自然災害の後に発生した「原発」事故と、現在も遅々として進まぬ被災地の「復興」です。
この2つは「おこってしまったこと」ではなく、現在進行形の「今まさにおこっていること」だから。
放射能の半減期などを考えれば、原発問題はこの先何十年、何百年と禍根を残すでしょう。
これに関連して最近は各地の原発の再稼動問題なども盛んに論じられていますが、いまさら僕が言うまでもなく、雰囲気や感情に任せた意見や、各種の利権に基づく論に、安易に同調しないよう、個々人が注意する必要があります。
現在も福島の原発で働いている人々の労働条件や雇用状況は厳しく、えげつない搾取(生命に関する搾取も含む)の話もよく耳にします。
また、福島県の方々に対する、各地の心無い対応の話も・・・。
一方で各地の原発の稼動に関しては、沖縄の基地問題と同じで、現実問題として原発が稼動しないと生活が成り立たない地域の人々もいるでしょうし。
また、「復興」については、実際の瓦礫処理や雇用問題や居住地の問題もさることながら、被災者の方々の「心の復興」という問題もあります。
阪神大震災の後に僕の周りで実際にあったことですが、生き残れた人々の心には、「生き残ってしまった」という自責の念や自罰の感情が生まれてしまう場合があります。
そうした心の傷が癒えるには、非常に長い時間がかかることでしょう。
このような現在進行形の各種問題に対しては、我々には何らかのアクションをおこす余地があるのではないでしょうか。
経済活動を通してであれ、政治活動を通してであれ、日々の生活を見つめなおすといった些細なことであれ。
何が言いたいのかあやふやになってしまいましたが、ともかく。
被災地の方々が、一刻も早く「復興」できるよう、我々は各自に出来ること(自分の生活をしっかり充実させるといったことも含む)を精一杯していく必要があるでしょう。
そして被災され、遠方の我々が想像することすらできない生活を送られている方々、どうか精神的・肉体的な無理をなさらないように。
一年前の今日という日を追悼して。
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明日はホリちゃんと新人の岩崎ちゃんでお待ちしてます。